心の壷の蓋があく
こんにちは!
はじめまして rurbanと申します。
今日からブログ始めました。
きっかけは、先日あるヒーラーさんに鑑定していただいたことがきっかけだと思います。
過去の出来事や、行動において全ては必然であったことがわかりました。
私は去年、断捨離をしました。
【断】入ってくる不要なものを断つ
【捨】不要なものを捨てる
【離】ものへの執着から離れる
断捨離という言葉は流行語にノミネートされなど最近では良く使われる言葉ですが、
私にとっての断捨離は相当エネルギーを使う人生の岐路でした。
1.ギャンブルを断つ
私の場合ギャンブルにのめり込んだのは、複雑な思考から逃げることでした。
公休日に仕事の頭を解放してお金儲けのことだけ考えていたかった、そんな単純なものでした。インターネットでフリマをやるようになり簡単にギャンブルを辞めることができました
私は背中を押されるように断捨離は止まりませんでした。
2 必要のない、着用しない服は捨てた
何を捨てたかわからないくらいに、次々とゴミ袋に詰めてすてました。
3 禁煙
10代のころから吸っていた煙草を辞めました。
ある親しい人が癌になりました。
辛くて毎日鶴を折り、癌封じ寺に回復を祈願しました。
病気になる前に煙草を断とうと思いました。
癌の苦しみを考えたら吸えない辛さは小さな苦しみだと思いました。
その方に感謝です。
私の断捨離は今まで見て見ぬふりをして封じ込めてきた自分の壷の蓋を開けたような感覚でした。
なぜ?そこに気づかされたのか?そこは明確には私にもわかりません。
ただ、日常の中で少しずつ何かが変わり始めていたものは感じました。
例えば、食べ物の好みや服の好みが変化したり、スピリチュアル的な不思議なことが時々起こりました。
それは、私が見えません、感じません、と封じ込めていたものも断捨離と同時に蓋があいてしまったことなのです。
これが、先ほど述べた必然だったと気がついたことでした。
幼少のころから、人に見えないもの感じないものを、見たり聞いたりしました。
そのたびに、母や友人や知人は私をおかしな人だ、あまり口にしないほうが良いと言いました。
毎日この世の人ではない人を見る、怖くはないのですが正直にその能力が怖かったのです。
だから、いつも心に「私は何も見えません、感じません」と言い聞かせていのです。
しかし、心のどこかで「私はいつかその道をゆく」と思っていました。
これから、私の感じたままを綴ります。
私は人の心を癒し、幸せに導く使命があるので、ブログ更新するなどメッセージを発信し、一人でもしネガティブな気持ちをポジティブに変えることができたらよいと思ってます。